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No.4 子宮頸がんの体験を語ることで、1人でも多くの女性に予防の大切さを伝えたい

23歳で子宮頸がんになった経験から、婦人科のがんの啓発活動に力を入れていらっしゃる阿南里恵さんに、あかずきんがお話をうかがいました。

阿南さんの場合は、どんなきっかけで子宮頸がんが見つかったのですか?

子宮頸がんが見つかったのは、東京で一人暮らしをしながらベンチャー企業でバリバリ仕事をしていたころでした。恋愛もおしゃれも楽しんで、とても充実した毎日を過ごしていたある日、不正出血が始まったのです。実はその半年前に受けた子宮頸がん検診の結果が「異常なし」だったこともあって、なかなかクリニックに行く気になれず、忙しくてホルモンのバランスが崩れたのかなくらいに考えていました。でも、出血量は増えるばかりで、これは病院に行かなくてはと思い、受診することにしたのです。

婦人科の受診は、少し勇気がいりますよね。

そうですね。なので、女医さんだけのクリニックを選びました。最初に診察をしてくださった先生が、看護師さんに「すぐに院長を呼んできて」とおっしゃったので、「これは悪い病気なんだ」と直感しました。そして診察後に院長先生から、「子宮頸がんがかなり進んでいるからすぐに大きな病院に行きなさい!」と宣告を受けたのです。早速、次の日に専門の病院で受診すると、先生から「ご両親にすぐに来てもらってください」と。翌日、大阪から両親が上京してくれ、3人で説明を受けました。

がんの告知を受けたとき、どんなお気持ちでしたか?

「おそらく子宮を全部取ることになると思います」という先生の言葉に母は「もっと早く気づいてやれなかった、私が悪いんです」と泣き崩れました。父はこれからの治療方針などを淡々と質問していましたが、私はただ呆然と、その光景を見ているだけでした。親戚にがんになった人がいないせいか、がんというものがあまりに遠い存在で、ピンとこないまま物事が進んでいきました。大好きな東京の仕事仲間と離れたくなかったのですが、先生の指示で、治療は大阪の病院で受けることになったのです。最初に受診した日から1カ月くらいたつと、大きくなったがんが骨盤の神経を圧迫するせいで激痛が起き、夜も眠れなくなりました。

あっと言う間に進行したのですね。大阪の病院では、どんな治療を受けられたのですか?

治療方針は、まず抗がん剤治療を2回行ってがんを小さくしてから子宮全摘手術をし、念のために放射線治療をするというものでした。そのとき、先生から「お腹を開けたときに転移が広がっていたら、そのまま閉じて進行を遅らせる治療をします」と言われたのです。幸い手術はでき、卵巣を残して子宮やリンパ節などを切除しました。その後、4週間の放射線治療を終えて経過観察に入りました。

治療中に苦しかったことはどんなことですか?

抗がん剤治療の副作用がひどく、吐き気と微熱とだるさで動けなくなりました。いままでの人生のなかで、いちばんつらかった。
体のつらさだけではなく、つねに心が大きく揺れ動き、「絶対に大丈夫」というような励ましの言葉にも腹が立つことがありました。
手術が近づくにつれて焦りと恐怖がどんどん募ってきて、借りたままになっていた東京のアパートに行って朝から夕方まで泣き続けたこともあります。「手術ができなかったらどうなるのだろう」「子宮を失って、子どもを産めなくなった私に女性として、人間として価値があるのだろうか」…。そんなことが頭の中をグルグルと回っていました。

体も心もつらいとき、何が阿南さんの支えになったのでしょうか。

手術を受ける覚悟ができなくて東京に家出をしていたとき、メールができないはずの母から長いメールが届いたんです。
「子どもが産めなければ、それはそれで、また生きていく道があると思います。里恵のことは、お母さんの命のある限り応援したい。力いっぱい笑えるときまでがんばってくれませんか」。そのような内容のメールでした。「生きなさい」という強いメッセージを感じ、覚悟が決まったのです。 そして、治療が終わるまで私の心の支えとなったのは、東京の職場の仲間でした。

治療が終わって、生活はどのように変化しましたか?

放射線治療が終われば元の生活に戻れると思っていたのですが、あまりに体力がなくなっていたため、自分の居場所と感じていた職場への復帰をあきらめなくてはなりませんでした。
その後、別の会社に再就職ができたのですが、無理をすると後遺症のリンパ浮腫が起きて足がパンパンに腫れ、40度近い高熱が出てしまうため、仕方なく退職しました。就労だけでなく、恋愛や結婚にも支障が出ましたし、お腹の傷を見られるのがいやで、旅行にも行けなくなりました。本当に何に希望を見出せばいいのかわからない日々が続いたのです。

阿南さんが力を入れていらっしゃる講演活動は、どんなきっかけで始められたのですか?

病気になってから、私のような思いを誰にもさせてはいけない、自分の体験談を話すことで、1人でも多くの女性が予防の大切さに気づいてくれたらと思ってはいたものの、なかなか踏み出せないでいました。
 手術から5年たち、ちょうど経過観察の最後の診察日にたまたまテレビを付けたら「杉並区が子宮頸がんワクチンの助成を決めました」というニュースをやっていたのです。その日は4月9日、「子宮の日」でした。そこですぐに杉並区のホームページから区長あてに私の体験と「役に立ちたい」というメッセージ送ったところ、保健所の部長さんからお返事をいただき、講演活動をさせていただけるようになったのです。それ以来、たくさんの依頼を受け、いまでは中学、高校、大学での「命の授業」というがん教育の活動にもつながっています。
講演を聞いてくださった方々から「生きるきっかけをもらった」「勇気をもらった」という声をたくさんいただき、自分でも役に立てるんだと思えるようになりました。講演活動は私にとって「生きていていい理由」になっています。

大変な経験をされたのに、阿南さんはとてもいきいきとされていますね。

20代でがんになって、たくさんのことをあきらめなければならなかったのですが、失った以上にたくさんの幸せを得ることができました。「キャンサーギフト」という言葉があるのですが、がんによって大変な経験をしたからこそ、いままで当たり前だったことが実は幸せなことであると気づき、感謝できるようになりました。

最後に、読者のみなさんにメッセージをお願いします。

子宮頸がんには、予防ワクチンと検診という2つの予防法があります。子宮頸がんは、がんの中で唯一、がんになる前にわかる病気なので、定期的に検診を受けることがとても大切です。婦人科は敷居が高く、検査に不安をもつ人もたくさんいますが、1回受けてみると「意外に簡単だった」と多くの女性が言っています。たとえば毎年子宮の日や誕生日に受けると決めておいたり、仲良しグループで受診する日を作っておくと、検診に行きやすくなるかもしれません。ご自分の人生を守り、夢をあきらめないためにも、精度の高い子宮頸がん検診を受けてみませんか。

本当に検診は大事ですね。今日は心に響くたくさんのお話をありがとうございました。

阿南さんのお話を聞いて、子宮頸がんになるとどんなことが起きるのか、どんな気持ちになるのかがよくわかりました。この機会に、1人でも多く子宮頸がん検診に関心をもっていただけるとうれしいな。

今回Iが子宮頸がん検診を受けたのは・・・・・・

23歳で子宮頸がんになり、抗がん剤治療、子宮全摘手術、放射線治療を実施。その後、イベント会社を立ち上げるとともに子宮頸がんの講演活動を始めた。2013年度から厚生労働省のがん対策推進協議会にて活動。今後は若いがん患者のがん・生殖医療の普及に携わっていく予定。